70年近く前、ここに零戦が格納されていたのです。 そして、この前にある滑走路から、908名の若者が特攻隊員として 南方に飛び立ち、そして再び戻ってくることはありませんでした。 九州の特攻基地というと「知覧」が有名ですが、知覧から飛び立った 特攻隊員は、436名。鹿屋の方が、はるかに多いのです。 もちろん「多い」「少ない」の問題ではありませんが…。 たった、70年近く前に、ここでそんな悲惨なことが起こっていたとは とても思えません。改めて平和の尊さを実感しました。 そんなわけで、冗談を書くことはできません。 コンクリートに触れると胸が熱くなりました。
by hatakeng
| 2013-04-22 16:41
|
ライフログ
カテゴリ
畠山健二 公式ホームページ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||